人間臨終考2026~バラバ(前編)

今回の臨終考はバラバです。イエスの代わりに釈放された罪人として知られる人物の物語を、2回にわたってお届けします。
森達也 2026.06.29
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バラバ(生没年不詳)

Barabbas

バラバ=森達也作

バラバ=森達也作

牢獄から呼び出されたバラバ

鍵の音にバラバは顔を上げた。見るからに屈強そうな牢番が、開け放たれた鉄格子の扉の脇に立っている。

「出ろ」

牢番は言った。

「何だよ。処刑か。ずいぶん早いな」

「言われたとおりにしろ。減らず口をたたくな」

牢番の横には、やはり屈強なローマ兵たちが、武器を持って立っている。逆らうといろいろ面倒そうだ。どうせ処刑から逃れることはできないのだ。バラバはのっそりと立ち上がると牢の外に出た。

「処刑場に直行か?」

「まずはピラトさまのお屋敷だ」

「ピラト? ポンテイオ・ピラトか? ローマ総督の? 何でまた、そんなお偉いさんの家に、罪人の俺が行かなくてはならないんだ?」

牢番は答えない。実のところ指示を受けたばかりの彼も、その理由を教えてもらえなかったのだ。獄舎の外に出たバラバは、後ろ手錠のまま護送車に乗せられた。

沈黙のイエス

この少し前、ピラト邸のリビングには、大勢の男たちが集まっていた。その中心に立つ男に、ローマ総督ピラトは言った。

「もう一度訊く。おまえはユダヤの王なのか」

イエスは答えない。視線をピラトに向けようとすらしない。

「総督さまのご質問に答えないか!」

でっぷりと太ったユダヤ教の祭司長が、イエスの前に進み出ながら、怒鳴り声をあげた。

「命が惜しいのなら答えろ! おまえはユダヤの王なのか」

「……それはあなたが言っていることです」

一瞬の間を置いてから、祭司長や律法学者たちは、「たわごとを言うのはいい加減にしろ」とか「おまえは自らをユダヤの王と名乗った。これは帝国への反逆だ」などと、口々にイエスを罵った。ゆっくりと顔を上げたイエスは、目の前の祭司長を見つめ返す。でもやはり何も言わない。

「……何も答えないのか。彼らがあのようにおまえを訴えているのに」

長椅子に腰を下ろしたまま、ピラトが小声で言った。でもやはりイエスは答えない。静かに男たちを見つめるだけだ。ここぞとばかりに祭司長は、ピラトに勝ち誇ったように訴えた。

「反論しない理由は、反論できないからです。つまり私たちの訴えは正しいのです。この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めることを禁じ、また自分は王であるメシアだと公言していました。その罪は万死に値します」

「反論しないと反論できないは、少し違うような気がするけれど……」

ピラトは言った。ユダヤの律法学者や祭司長たちがイエスを憎む理由はわかっている。自分たちが唱えていた教義を否定され、さらに既得権益までが脅かされたからだ。でも彼らとしても、この場でそれを主張するわけにはゆかない。だから「イエスは自らをユダヤの王であると称して帝国への反乱を企てている」と主張している。それが誇張のレベルではなくフェイクであることはわかっているけれど、もしも指摘すれば彼らはますます半狂乱になるだろう。統制がとれなくなる。ならば自らの管理責任を問われるかもしれないし、それはそれで面倒だ。とにかく早く任期を終えてローマに帰りたい。こんな辺境の地にいつまでもいたくない。

「私にはこの男の罪がよくわからない」

「とんでもない。思い当たることがあるから何も言えないのです。間違いなく有罪です」

「ならば、あなたたちがこの男を、自分たちの律法にしたがって罰すればよい」

「私たちには人を死刑にする権限が与えられておりません」

「……やはり私には、この男に何の罪も見いだせない。でもあなたがたは、この男を死刑にするべきだと主張する。ならばこうしよう。過越祭の際には囚人をひとり釈放することが、あなたがたの慣習になっていることを私は知っている。誰を釈放すべきなのか、あなたがたが決めればよい」

もう一人の「イエス」

それから数時間後、太い両腕を後ろ手錠で拘束されたバラバが、ローマ兵たちに引きたてられながら、ピラト邸に連行されてきた。

「総督、もうひとりの囚人を連れてきました」

「名前は何だっけ」

「バラバ・イエスです」

「おまえもイエスなのか」

ピラトは意外そうに言った。でも実は、「ヤハウェの救い」や「ヤハウェは救い」などを意味するイエス(正確な発音は、アラム語で「イェーシューア」で、ヘブライ語では「ヨシュア」)は、当時のユダヤ社会においてはとても普通の名前だった。ちなみに「キリスト」という言葉は、ヘブライ語のメシア(油を塗られた者)のギリシア語訳「クリストス」からきており、「救世主」の意味も持つ。

そのとき、ピラトの前から引き下がろうとしたバラバが、隣に立つローマ兵の足を踏んだ。

「なんてこった。こんちくしょう!」

痛みに顔をしかめながらローマ兵が口走り、ピラトはその言葉を聞き咎めた。

「今何と言った?」

「総督閣下。申し訳ありません。あまりに痛かったので思わず……」

「英語でもう一回言いなさい」

「Jesus Christ!」

「イエス・キリスト。まさか自分の名前がこんなふうに使われるとは、当時のイエスも予想していなかっただろうな。もちろんそもそもは、『おお神さま』とか『unbelievable!(信じられない)』の意味ではあったけれど、でもいつの間にか、『shit!(こんちくしょう)』の意味で使う人が多くなった」

「閣下。解説ありがとうございます。でも今がまさしく、その『当時』の時代です」

男たちはどっと哄笑した。無言でじっと俯いているのは、イエスとバラバだけだ。

名前における奇妙な符合はイエスだけではない。バラバもアラム語では、「父の子」を意味する「バル・アッバス」が由来であるとの説がある。ならばバラバ・イエスの意味は、「父の子イエス」ということになる。

ここからバラバとイエスは、実は同一人物ではないかとの説が生まれる。

ただし今回は、ややこしくなるのでこれ以上は名前については触れない。バラバに限らず、聖書にはさまざまな解釈があるし、そもそもバラバの罪状についても、福音書によって記述がかなり違う。「マタイによる福音書」は罪状について触れていないし、「マルコによる福音書」では暴動時の殺人になっている。「ルカによる福音書」でも暴動と殺人で、「ヨハネによる福音書」では強盗だ。ローマ帝国へのレジスタンス活動をしていた熱心党の一員だったとの説もある。ならば政治犯だ。

真相はもう誰にもわからない。だから話を戻す。ここではバラバは、2人を殺害した確定死刑囚という設定だ。

「バラバ、よく聞きなさい。これからあなたと、ここにいるナザレのイエスのどちらを釈放するか、人々に訊いてみる」

「人々って誰だよ」

民意という幻想

バラバのこの問いに、ピラトはバルコニーの扉を開けることで答えた。邸の前は広場だ。集まってきた多くのユダヤ人たちで一帯が埋めつくされている。

「……たくさんいるなあ」

「5000人はいる」

ピラトは言った。ちょっと得意そうだ。

「彼らに訊けば、まさしく民意がわかる」

「ミンイ?」

「民意だよ。世論。パブリック・オピニオン(public opinion)だ。つまり社会の意見。君には難しいかもしれないが」

そう言われたバラバは、片頬に不敵な笑みを浮かべながら、「京大大学院教授で社会学者の佐藤卓己は、『世論』を『情緒的な参加による大衆の共感』と定義している」とつぶやいた。

「つまりポピュラー・センチメント(popular sentiment)だ。パブリック・オピニオンであることを強調したいのなら、『理性的討議による市民の合意』を意味する『輿論』のほうを使うべきだな」

しばらくの沈黙。「……なかなか勉強しているようですね」と祭司長が気まずそうに揉み手をし、「牢獄では時間がありますから」と律法学者が髭をしごきながら言う。

「どうせ処刑されるのは俺のほうだ。そんなことはやる前からわかっている。でもどんな結果が出るにせよ、それが理性的討議による市民の合意とは思わないほうがいい。集団の行動原理は理性や論理ではなく、そのときの感情や衝動だ。そしてこれは容易く影響される。人が群れる生きものであるかぎり、この属性から逃れることは不可能だ。だからこそ民主主義の成熟は難しい。今の時代ですらそうなのだ。ポピュラー・センチメントを増幅するネットが生まれたら手も足も出なくなる」

そう言って皮肉に笑うバラバを無視して、ピラトはイエスに顔を向けた。

「ナザレのイエス、おまえの意見は?」

やはりイエスは答えない。薄く目を閉じたまま、じっと押し黙り続けている。

この段階でバラバは、集まってきた民衆が自分を処刑せよと言うだろうと予測していた。理由はひとつではない。まずは外見だ。ロンゲで痩身のイエスは、実はジョニー・デップが演じていると言われてもまったく違和感がないほどに端正な顔立ちだ。それに比べて自分は、下積み時代にはギャング役が得意だったアンソニー・クインが映画『バラバ』(1962年)で演じたように、どこからどう見ても悪党面で薄汚い大男だ。『情緒的な参加による大衆の共感』は、外見や印象によって大きく左右される。今も昔も変わらない。彼らが俺を選ぶはずがない。

それに投獄される前に、イエスの噂は何度か耳にしている。多くの人たちが救世主と称えていたはずだ。形骸化して腐敗したユダヤ教のパリサイ派やサドカイ派を批判したことで逮捕されたようだが、既成宗教に対しての不満は多くの民衆も抱いていた。ならば腐敗したユダヤ教のアンシャン・レジームはともかく、民衆がイエスの処刑を望むはずがない。

つまり何をどう考えても、バラバの分は悪い。処刑の時期が早まるだけだ。それはそれでかまわない。生きていてもいいことなど何ひとつない。何とかまっとうに生きようと頑張った時期もあるけれど、結局はいつも努力が裏目に出る。神などいない。仮にいるならば、とてもアンフェアで無責任な存在だ。弾みとはいえ、俺が人を殺めてしまったことは確かなのだ。死んで詫びろというのならそうしよう。

群衆が選んだのは

「ユダヤの民よ」

バルコニーに進み出たピラトが言った。

「ここにいるナザレのイエスとバラバ、そのどちらかを、あなたたちは救うことができる。教えてくれ。どちらを救うべきかを」

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