人間臨終考2026~チェ・ゲバラ(後編) 民主主義が独裁を促進する
チェ・ゲバラ(1928〜1967) 享年39
Che Guevara

チェ・ゲバラ(森達也作)
「この国で社会主義化は難しい」
それから1ヵ月が過ぎたころ、トヨタのロイヤルサルーンの深々としたリアシートに座りながら、チェはふいに言った。隣に座る中津川は、手にした新聞紙面からチェに視線を移す。車が信号で停まるたびに、チェに気づいた通行人が嬉しそうにスマホのカメラレンズを向けてくる。
「その理由は君にわかるか」
「……既にある意味でこの国は社会主義国家になっています」
「そのとおりだ」
「ゴルバチョフがかつてそう言ったとの説がありますね。彼がどのような意味で言ったのかはわかりませんが……」
「制度やイズムではない。この国の人たちは資質的に社会主義に向いているのだ。そしてそれはとても危険なことでもある」
熱狂する人々×普通選挙=?
革命戦士時代にチェは、熱狂する人々の姿を何度も目撃してきた。何かのきっかけで人々は高揚する。集団になればなるほどその勢いは加速する。その熱に水をかける人がもしいればバッシングされる。本来ならメディアが抑制すべきだが、この状態になれば逆に煽る。なぜならそのほうが部数や視聴率に結びつくからだ。かつてナチスドイツもそうだった。当時においては「世界で最も民主的な憲法」と謳われたワイマール憲法を掲げながら、あくまでも普通選挙によって、ヒトラーは権力の頂点に登り詰めた。つまり民主主義(市場原理)が独裁や全体主義を促進する。
「キューバの特産品であるサトウキビの天敵は知っているか」
「何でしょう。虫でしょうか」
「バッタだ。時おり大発生する。そしてこのときバッタは、とても凶暴になる。しかも形まで変わる」
「相変異ですね」
「よく知っているな」
「大学では生物学を専攻していましたから。いわゆる飛蝗現象といいます。サバクトビバッタなどが有名ですね。エリア内の個体数がある閾値を超えたとき、バッタは互いにフェロモンを出し始めて集団化が加速します。それぞれの個体は色が黒くなって翅が長くなるなどの変異を起こし、大きな群れを作って暴走を始め、食性は貪欲になって集団で獲物を求めます」
「……それはバッタだけの現象なのか」
「一応はそういうことになっています」
議員辞職「この国の政治にあきれた」
翌週、チェは議員辞職を宣言した。当然ながら大きな騒動になった。
「みなさんの期待に背いて申し訳ないと思う」
記者会見の場でチェは言った。
「しかし私はこの国では危険だ。独裁者になりたくない。自分が欠点だらけの男であることは知っている。しかも社会主義化への希望をまだ捨てていない。母と先妻との約束を果たしたい。でも私のその理想は、この国に持ち込むべきではない」
「なぜですか」
記者のひとりが訊く。
「この国の政治にはあきれた。すべてとはいわないが政治家の質が低い。あまりにも勉強不足だ。しかも勉強しようとの気概がない。頭の中は次の選挙のことでいっぱいだ。政治家として何ができるかではなく、政治家であり続けることにしか関心はないようだ。そして選挙では毎回のように、一時のブームで政治に関心も資質もない人たちが当選する」
そこまで言ってから、チェはゆっくりと記者たちを見回した。