人間臨終考2026 ~石川五右衛門~
真実は人の数だけある。虚と実は二項対立ではなくグラデーションなのだ。これはリテラシーの基本。そんな視点からのメディア批評に重点を置きながら、日々の思いを月に一回のペースで綴ります。同時にtheLetterでは、2015年に小学館から刊行された「人間臨終考」を月に一章ずつ配信します。なぜ10年前の本を今ごろ配信するのか。理由は単純。むちゃくちゃ面白く書けた(と自分では思っている)のに、あまり多くの人に読んでもらえなかったから。
この「人間臨終考2026」とメディア批評をベースにした日々の思いの二本立てで、「虚実停日乗2」は進行します。僕にとっても実験的な試みなので、読んでくれた方々の感想や反応は楽しみです。
石川五右衛門(生年不詳~1594)
Goemon Ishikawa
作画:森達也
五右衛門は捕えられた。豊臣秀吉の暗殺に失敗したからだ。命を狙われた秀吉は、厳重なはずの警備をかいくぐって城の寝所にまで賊が忍び込んできたことにまずは脅え、次に怒り狂った。
「すぐに死刑じゃ。即刻死刑じゃ。早く殺せ」
五右衛門が捕らえられた翌日の早朝、知らせを聞いてあわてて駆けつけた石田三成に、秀吉は怒りでぶるぶると身体を震わせながら言った。興奮しているので声が裏返っている。内心はやれやれと思いながらも、いつもの怜悧な口調で三成は言った。
「お気持ちはわかりますが、取り調べと裁判を適正に行って背後関係を徹底的に洗い、殿下の命を狙った黒幕や関係者を一網打尽にすべきだと思いますが」
「寝言を言うな。適正な取り調べとか裁判とか必要ない。暗殺を命じたものを調べるのなら拷問にかければよい。目玉をくり抜け。耳を引きちぎれ。手足の爪を全部剥げ」
「あまりに苛烈な拷問では、その場逃れで適当なことを言う可能性がござる」
「うるさい。うるさい。とにかく早く殺せ。国家権力の怖さを思い知らせよ」
「お言葉ですが殿下、この時代はまだ国家という概念はござらん」
「とにかく殺せ。なぶり殺しにせよ」
全然会話はかみ合わない。ただし身分制度が当たり前のようにあったこの時代、百姓の身分から太閤の地位にまで登りつめた秀吉は、自分が分不相応な位置にいることはよくわかっていた。何しろ側近の石田三成を筆頭に、家臣たちのほとんどは何代も続いた武将や大名の家柄なのだ。二世三世議員の比ではない。だからこそ秀吉は内心、強い劣等意識にさいなまれている。足軽から始まって太閤まで。位が上がれば上がるほどこの劣等意識は強まり、その結果として、自分の権力誇示に躍起になる。二世三世も困るが、成り上がりも始末におえない。とにかく大名とか政治家など、ろくなもんじゃない。
言い換えは治世の基本
秀吉への説得をあきらめた三成は、その日の夕刻に、京の治安維持の任務に就いている所司代の前田玄以を屋敷に呼んだ。
「殿下はことのほかご立腹じゃ。警護の責任については追って沙汰を下すが、5人や10人の首くらいでは済まぬということを、まずは覚悟したほうがよい」
これを聞いた前田玄以は震えあがった。この場合の「首」は解雇の意味の「クビ」ではなく文字どおりの「首級」だ。京の治安維持を任されている自分が、今回の騒動の責任から逃れられるとは思えない。
「如何いたしましょうか」
「まずは五右衛門への極刑じゃ。そのやりかたによっては殿下のご機嫌も直るかもしれん」
「キョッケイと言いますと?」
蒼ざめながら前田は首をひねる。初めて聞く言葉だからだ。三成は得意そうに説明する。
「極刑とは死刑のことじゃ。しかし死刑では文法的におかしいとは思わぬか」
前田は考え込む。
「わかりませぬ。極悪人だから死をもって刑罰とする。死刑でよいではござらぬか」
「ならばなぜ処刑前の確定囚が病気になったらこれを治療するのじゃ」
「それは、……処刑するためでござる」
「死をもって刑罰とするなら、病気など治さずに放置して死を待てばよい。あるいは自害でもよいはずじゃ。しかし自害は認められぬ」
「確かに獄で死刑囚に自害などされたら、責任問題で拘置所は大騒ぎでござる」
「つまりそういうことじゃ。極悪人に与えられる罰は死ぬことではなく殺されることなのじゃ。ならば文法的には、死刑ではなく殺刑という言葉のほうがふさわしい」
「なるほど。しかし石田殿はいまキョッケイと申されたが?」
「いかに文法的に正しかろうが、殺刑では生々しすぎる。死刑廃止運動が加速するやもしれぬ」
「確かにあの死刑廃止運動の輩どもは目障りでござるな」
「今ならば共謀罪はテロ等準備罪で武器輸出三原則は防衛装備移転三原則。敗退は転進で全滅を玉砕、占領を進駐などと言い換える時代もあったな。特に社会の注目が集まるときには、なるべく本質を隠す言葉に言い換えることは政治の大原則じゃ」
「よくわかり申した」
「極刑という言葉ならメディアも使いやすかろう。7時のニュースで『殺刑を求める声が高まり』というよりも『極刑を求める声が高まり』のほうがナレーションもつけやすいし、このニュースを見たり聞いたり読んだりするほうも抵抗がない」
さすがは当代一の知恵者と言われるだけのことはあると感心しながら、前田は三成の屋敷をあとにした。賊の侵入を許したことは所司代にとっても大失策だ。名誉を挽回するためには、とにかく速やかに五右衛門の処刑を進めるだけだ。具体的な日時や処刑方法については公開しない。こっそりと不意打ちのように実施する。死刑囚は判決確定後6ヵ月以内に処刑されることが決まっているが、実はあまり厳格に守られていない。なぜなら(当たり前のことだけど)刑務官も人の子だ。いかに極悪人とはいえ、できれば殺人行為にかかわりたくない。でもそれでは国の威厳が保てない。要するに示しがつかない。だから最近は、確定後できるだけ迅速に処刑するようにとの動きが強くなっている。そして執行数も急激に増加している。
玄以もやもやする
一応は所司代というポジションだから、諸外国のほとんどが死刑を廃止していることは知っている。死刑大国と呼ばれる中国、あるいは先進国では日本と並んで唯一の死刑存置国であるアメリカも、ここ数年は執行数が減少傾向にあることも知っている。ところが日本の場合、特にオウム真理教による地下鉄サリン事件以降、死刑判決と執行数は急激に増えている。国連からは毎年のように死刑廃止の勧告が来ている。知ったことか。これがこの国の形なのだ。伝統であり文化であり美学なのだ。悪いことをしたのなら命をもって償う。それの何がいけないのだ。実のところ冤罪はかなりあるが、悪化するばかりの治安を向上させるためには仕方がない。
……というのは建前。実のところ治安は悪化などしていない。やはり立場上、前田はその実態をよく知っている。この国の殺人事件の件数は、年々減少しているのだ。しかしメディアはそれをほとんど報じない。それどころか殺人事件が起きるたびに、とても扇情的に報道する。「治安悪化」とか「増え続ける凶悪犯罪」などのフレーズも慣用句のように使う。こうして煽られた危機意識が、死刑を求める意識とリンクする。
そもそも社会学的には、死刑による犯罪抑止効果は認められていない。現状では世界の3分の2の国が死刑を廃止しているが、その後に治安が悪化したとのデータはほとんどない。カナダやスペインなどではむしろ廃止後に良好になったと聞いている。
まあでもいずれにしても、視聴率や部数などの市場原理に埋没したメディアは自ら進んで治安悪化を煽ってくれるから(なぜなら不安や恐怖を強調すれば視聴率や部数は上がるのだ)、この国の死刑存置派の数は増加するばかりで、為政者にとってはありがたい状況が現出している。
歩きながら前田はひとりでうなずいた。デモクラシーとは多数決の原理だ。ならばいかに冤罪が明らかになろうが人権侵害などと国際社会から批判されようが、死刑制度存続は、この国の選択として間違いではない。
しかも国内的な治安悪化の幻想は、国外的には中国や北朝鮮など仮想敵国への不安や恐怖とリンクする。やはりメディアはこれも煽る。人民解放軍が攻めてくるとか北朝鮮のミサイルが降ってくるとか。だから集団的自衛権や秘密保護法やスパイ防止法などが成立しやすくなる。しかも最近では、反権力的なメディアに対しては、国賊とか非国民などと他のメディアがバッシングするようになってきた。とても良い傾向だ。とにかく五右衛門については一刻も早く処刑して、秀吉の機嫌をとらなくては。