人間臨終考2026 ~弁慶~
弁慶(生年不詳~1189)
Benkei

森達也作
「お兄ちゃんは何を怒っているのだろう」
山伏の扮装をした弁慶の背中に負われてスマートフォンをいじりながら、間延びした甲高い声で、ふと思いついたかのように義経が言った。
「いろいろ理由があると聞いています。勝手に官位を受けたとか指示に従わなかったとか」
前方を見据えて歩きながら説明する弁慶の後頭部に、義経は不満そうに反論した。
「だから誤解だって言っているじゃないか。ちゃんとメッセージも送ったのにさ、お兄ちゃんずっと既読スルーなんだぜ」
「他の理由も聞いています。SNSで悪口を書いたとか、頼朝さまのお屋敷の塀に向かって立ち小便をしたとか」
「ああ、それはした」
「立ち小便ですか」
「SNSだよ。でも匿名で書いているから、書いたのが私だってわかるはずはないのだけど」
「甘いです。匿名のつもりでも身元は案外わかるものです。何と書いたのですか」
「何だっけな。ケチだとか足が臭いとかシークレットブーツをはいているとか、その程度だけどな」
「それだけですか」
「他には、捏造ノンフィクション作家とか拝金主義のドキュメンタリー映画監督とか卑劣な嘘つきとかも書いたな」
「……充分だと存じます」
「でもさあ、それをばらされたからって、源平合戦の立役者でヒーローになって日本中のアイドルまで上り詰めた源義経に対して、この仕打ちはないよな」
弁慶は答えない。やはり山伏の扮装をして2人の後ろを歩いていた十郎権頭兼房が、「……最低だな」と小声でつぶやいた。義経が振り返る。
「何? 何か言ったか」
「いえ。何も申しておりません」
立ちはだかる安宅の関と富樫の憂鬱
弁慶が静かに足を止めた。全員が顔を上げる。100メートルほど前方に、数人の武士らしき男たちが立っている。安宅の関だ。
「殿。関所でござる。背中から降りてください」
「いやだ」
「やんごとなき人であると悟られます」
「やっつけちゃえばいいじゃん」
「関所には20人ほどいます。こちらは12人」
「弁慶ならひとりで充分だろ」
「無益な殺生はしたくありません」
「なーに言ってんだか。刀を集めるために京で道行く人を1000人殺したのは誰だっけ」
「……999人でござる。1000人目に出会ったのが殿でござった」
「知ってるよ。だからこうして家来になったんだろ。999人も殺したんだからさ、普通は間違いなく死刑だよな」
顔を伏せたまま弁慶は答えない。無言で唇を噛みしめている。
「もしも裁判になったら、絶対に『更生の余地などなく』って判決文に書かれるよな。そんな極悪人を私は救ってやったんだぜ。何を今さら、無益な殺生はしたくありませんだよ。分をわきまえろ下郎!」
無言のままの弁慶に代わり、十郎権頭兼房がたまりかねたように言った。
「殿。こちらに気づいたようです。後生ですから武蔵坊殿の背中から降りてくださらぬか」
「いやだ」
大きな吐息をひとつつくと、弁慶はゆっくりと歩を進める。義経を背負ったまま関所を強行突破する腹を固めたらしい。
一方こちらは安宅の関。近づいてくる山伏たちの一行を眺めながら、「あーあ、来ちゃったよ」と関守の富樫左衛門はつぶやいた。傍らでオペラグラスを覗いていた部下のひとりが、「先頭は大男です。背中にネズミのような顔をしたちょび髭の小男を背負っています」と報告した。
「どう見たって義経と弁慶じゃん。隠すつもりがまったくない」
「舐められましたな」
「どうしようか」
「それはもちろん、……義経ならば中央からの指令どおり捕獲すべきです」
「チャンバラになるね」
「なるでしょうな」
「被害も相当出るね」
「何しろ弁慶ですからな」
「下手したら全員討ち死にだ」
「下手したらではなくて、その可能性は相当に高うござる」
「……ローンで家を建てたばかりなんだよ」
「拙者だって子供が5人、家で帰りを待っており申す。長女は今年受験です」
「どうする?」
「どうしましょう」
こそこそとそんな会話をしているあいだも、一行は関所に近づいてきた。先頭を歩く弁慶が大声で、「お役目ごくろうでござる」と言いながら全員の顔を睨みつける。ためらいながら前に進み出た富樫は、「どこへ向かうのじゃ」と訊いた。
「われらは奈良東大寺の再建のために、北陸道につかわされた僧である」
「東大寺再建ということは、つまりは寄付を集める勧進か」
「いかにも」
「わかり申した。通りなさい」
富樫がほっとしたように言ったとき、ぎろりと大きな目を剥いた弁慶が、「確かめなくてよいのか」と言った。背中の上で義経は、時おり奇妙な動きで身をくねらせている。微かに音が洩れる。どうやらワイヤレスのイヤフォンでラップを聴いているようだ。
「何と申された」
「我らがまことに勧進であるかどうか、確かめなくてよいのか」
少し考えてから、富樫は「……いいよ」とつぶやいた。「今んとこ疑ってないから」
さすがに弁慶が「それはダメだろ」とあきれたように言い、十郎権頭兼房や伊勢三郎など11人の山伏たちは、「職務怠慢だよ」「上司に言うぞ」「職責放棄だ」「SNSに書くぞ」などと富樫を責める。
「何だようるさいなあ。この関所はプライバシーに介入はしない。最近は個人情報保護法とか秘密保護法とかがうるさいんだよ」
富樫のこの言葉に、「理由になってないぞ」と伊勢三郎が反駁する。
「おまえたちはお上にたてつくのか」
「そう思うのなら調べろよ」
「外国のスパイだったらどうするんだ」
「安全保障の意識が低いぞ」
しばらく考えてから、「だいたい確かめろって言うけどさあ、どうやって勧進かそうでないかを証明するんだよ」と富樫は言った。弁慶が大きくうなずいた。
「我々の目的が本当に勧進ならば、勧進帳を持っているはずでござる」
「ああ。……そうだね。持ってるの?」
「当然でござる」
「じゃあ行っていいよ」
「だから確かめろよ」
あきれたように弁慶が言い、「普段からそんな調子だから、想定外のことが起きたら対応できなくなるんだ」と十郎権頭兼房が続ける。
「そもそも本当に48基の原発が必要だったのかどうか、これだけ停止しているのに電気は足りているじゃないか。それなのになぜ、また原発は基幹エネルギーになるんだよ。まずは前提を疑えよ。情報を鵜呑みにし過ぎるんだよ!」
「……兼房どの。さすがにそれは意味がわからん」
「お聞き過ごし下され。いくらなんでもパロディに無理があり申した。とにかく関守のあなたがたは今、私たちが本当に勧進のための旅をしているかどうか、確かめるべきでござる」
前代未聞の「勧進帳」と、監視カメラの死角
ふてくされたように富樫は「わかったよ」と言った。「しからばその勧進帳を読みあげてみよ」
うなずいた弁慶は、傍らにいる伊勢三郎に「勧進帳を渡せ」と言った。
「勧進帳?」
「早くしろ」
「あるわけないじゃないですか」
「何でもいいから紙をよこせ」
手渡された四つ折りの紙を開くと、弁慶は軽く咳払いをしてから、朗々と読み上げた。
「鎌倉を出て3日目の今日の夕食は、元カノを誘って甲州のイタリア軒。メインは子羊のブルゴーニュ風ソテーと、ホタテとズッキーニのマリネ・プロヴァンス風。この店はもう10年ほど前から通っているが、シェフが2代目になって、残念ながら味は多少落ちたか。しかし相変わらず接客は最高。色紙を3枚頼まれる。部屋にチェックインして元カノと白ワインを飲みながらまったりとした時間を過ごす(汗)。ただし飲みすぎたせいか、翌朝は少しだけ寝坊」
「……おまえ、いったい何を渡したんだ」
十郎権頭兼房が伊勢三郎に小声で訊く。
「殿が書いたnoteのコピー」
「何でそんなもの持っているんだ」
「出版社に持ち込むから、読んで感想を聞かせてくれと殿に言われたからだ」
「そんなもの誰が読むんだ。(汗)って何だ。バカにしているのか」
そのとき富樫が、重々しい声で言った。
「よくわかり申した。お通りください」
紙を手に「朝食はクロワッサンとハーブティー」までを読みかけていた弁慶は、驚いたように顔を上げた。
「何がわかったのじゃ」
「確かに勧進帳でござる」
「どこが勧進帳じゃ。子羊のブルゴーニュ風ソテーと元カノとまったりとした時間を過ごす(汗)が、東大寺再建に何の関係があるのだ」
「すべては縁起でござる。此れ生ずるがゆえに彼れ生ず」
「わけがわからんわい」
そのとき義経が、「もう退屈じゃ。腹も空いた。弁慶、早く行け」といきなり声をあげた。弁慶は無念そうに唇を噛みしめた。その形相はすさまじく、ほとんど鬼神そのものだ。ゆらゆらと殺気が立ち昇り、空からカラスやスズメが落ちてきた。しかし義経の命令とあらば仕方がない。弁慶はゆっくり歩を進めようとした。
「さすれば通る」
「道中気をつけてな」
富樫がほっとしたように言ったとき、この春に中央から配属されてきたばかりの新人が、弁慶に背負われた義経をしげしげと眺めてから、「なぜこの者だけ背中に負われているのじゃ」と言った。