「繰り返さない」に加わった「せ」が変えた戦争の主語 透ける高市首相の意図と日本に欠落するもの
15日の戦没者追悼式の式辞で高市首相が、「反省」という言葉を使わなかったことは、多くのメディアが報じている。それは想定できた。それよりもむしろ、「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」と発言したことのほうに僕は大きな衝撃を受けた。
歴代総理はこれまで、「繰り返さない」だった。そこに「せ」が加わることで、「誰が戦争を起こしたのか」という文脈が曖昧になった。透けて見える高市首相の意図は、戦争を起こして日本に惨禍を与えた主体は「日本」ではなく「相手国」である、ということになる。つまり大義ある自衛戦争だった。ならば(当然だが)反省する必要などない(そもそも高市首相は1995年の衆院外務委員会で、「私自身は当事者とは言えない世代だから反省なんかしていないし、反省を求められるいわれもない」と述べている)。「繰り返させない」ためにはどうするか。日本の抑止力を強化することだ。ついでに書くが、追悼式が行われた日本武道館の駐車場で高市首相は、靖国神社の方向に向けて遥拝(二礼二拍手一礼)したこともニュースは触れていた。思想信条は自由。でもなぜ多くの人がいる駐車場でわざわざ遥拝するのだろう。車の中で黙礼したっていいし、どうしても遥拝したいのなら、朝起きて公邸の窓の外から靖国神社の方向にすればいい。だから(さらについでに書くが)「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」というネーミングは大嫌いだ。どうしても参拝したいなら一人ですればいい。
ある児童文学作家の「問い」
……ここまでは今回の原稿の伏線。ここからが本論。僕は極度の方向音痴だ。少し前に『話を聞かない男、地図が読めない女』というタイトルの本が話題になったけれど(男性は進化学的に空間認識能力が発達しているとのこと)、ならば男性としては少しばかり恥ずかしい。でも認めなくては。初めての場所に行くときは早めに出る。道に迷うことがほぼ確実だからだ。初めての場所だけではなく、六本木の駅からテレビ朝日本社に行く道が(何十回も行っているはずなのに)今もよくわからない。鬼門なのだろうか。毎回迷う。子供のころからそうだった。道に迷ったことは数えきれない。小学校低学年のときに遠足で一人だけはぐれてしまい、学校に帰れなくなったことがある。方向がわからないのだ。前と後ろはわかる。でも東や西がわからない。右と左もあやしい。
4年前に山中恒さんの家に行ったときも、駅からしばらく歩いたけれど、やはり道に迷ってしまった。教えられた住所をスマホのグーグルマップに入力して地図を見ても、表示される矢印が今の進行方向と合致しているのかどうかわからない。このままでは約束の時間に遅れてしまう。やむなく電話して、パートナーの典子さんが自転車に乗って迎えに来てくれた。体調はあまり良くないと聞いていたけれど、山中さんはにこにこと嬉しそうに迎えてくれた。
日本が全面降伏して戦争が終わったことを知ったとき、14歳だった山中さんは、自決して天皇にお詫びするために辞世の句を考えていたという。このエピソードが示すように、戦争中の山中さんは天皇への忠誠と国家への奉仕を使命とする筋金入りの「少国民」だった。

でも戦時には愛国思想や皇民化教育を指導してきた教員たちが、戦後は一転して基本的人権や民主主義など正反対の教育を平然と始めたことに、山中さんは強い違和感を覚える。あの戦争は何だったのか。日本はなぜあんな無謀な戦争を始め、そして自分たちは熱狂的に支持したのか。山中さんは考え続ける。

29歳で発表した『赤毛のポチ』が児童文学者協会新人賞を受賞して、山中さんは児童文学作家としてデビューする。代表作のひとつである『あばれはっちゃく』はテレビドラマ化されて話題となり、『おれがあいつであいつがおれで』は大林宣彦監督の映画『転校生』の原作となった。
児童文学執筆と並行して山中さんは、戦時中の子どもたちが受けた軍国教育の内実を徹底的に検証して批判する「ボクラ少国民」を全5巻で発表する。そのバックボーンは自分自身の体験。まさしくライフワークだ。
山中邸のリビングに続く広い部屋は改装されて書庫となり、「ボクラ少国民」を書くために収集した戦時中の何千冊もの本や新聞などが保管されていた。本はすべて子供向け。つまり児童文学。手に取りながら圧倒される。「肉団三勇士」とか「軍神広瀬武夫」とか「死んでもラッパを離しません」とか。幼少時代にこんな読みものばかりに触れていたら、「神国日本は必ずや鬼畜米英を打ち負かして聖戦に勝利する」などと本気で思ってしまうのだろう。