「本当の声」が消えたドラマに感じた違和感 安易な吹き替えは表現の後退ではないだろうか

たまたま目にした空港を舞台にした連続TVドラマ。作中の外国人キャストへの「吹き替え」演出に、僕は強烈な違和感を覚えた。安易に「声」を奪うテレビの自滅行為と、その背後にある日本の歪みについて考えてみた。
森達也 2026.09.30
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普段はテレビドラマをあまり、というかほとんど観ない。

理由は単純。テレビドラマはほとんどが連続ドラマだ。つまり鑑賞するためには、それなりの時間をかけなくてはならない。その価値はこのドラマにあるのかと観る前に考えてしまう。人生は短い。最終回を観終えてから、「失敗した」とか「観なければよかった」などと悔やむことだけは避けたい。同じ理由でNETFLIXやAmazonのシーズンのドラマも、完結して評価を(ネタバレや粗筋などは避けながら)読んだうえで観るようにしている。

でもこのあいだ、始まったばかりのテレビ朝日の「大空港」をたまたま観た。といっても最初から最後まで観たのではなく、リモコンでチャンネルを変えるあいだの数分だけど。

テレビ朝日のウェブサイトから

テレビ朝日のウェブサイトから

空港を舞台に税関職員たちの仕事を描いた連続ドラマ。キャストも豪華らしい。以下は(少し長いけれど)テレ朝の公式ウェブサイトからの抜粋だ。

密輸や偽造パスポート、人身売買、テロ――。国際犯罪が巧妙化・深刻化の一途をたどる中、それらを水際で防ぐ“国の最終防衛ライン”となる空港の《入管》と《税関》。

ここ数年、訪日外国人が急増し、その現場はかつてない困難を極める中、迅速かつ一括対応を可能にするべく縦割り構造を排除した内閣官房直属のスペシャルユニットが発足――その名は「GATE24」(Global Airport Task Enforcement)! しかし…現実はその壮大な構想とは程遠く、多様な省庁の管轄が複雑に入り組む空港の中で各省庁からの協力を得られず、現場からも“腫れ物”扱い。さらに「GATE24」に割り当てられたのはメインゲートから遠く離れた空港の隅で、臨時便や小型便ばかりを扱う小さな審査ブース。その存在は《空港審査の補欠》のようで…!?そんな厳しい状況下で始動した「GATE24」が、法律や制度、人情が激しく交錯する審査の現場で衝突しながらも組織の壁を越え、次第に日本の境界線(ボーダー)に立つプロフェッショナルとして成長していく姿を爽やかに描きます。

テレビ朝日のウェブサイトから

「値上げ」のレベルではない

入管法改正を軸に外国人の在留資格などの厳格化が進み、6000円だった在留資格更新・変更手数料は、最大7万5000円にアップされた。さらに永住許可の申請料も1万円から20万円と大幅な値上げとなる。

……とここまでを書きながら、これは「値上げ」という言葉が適正だろうかと首をひねりたくなる。1万円から20万円。値上げのレベルじゃない。

しかもこれだけではなく、日本への永住要件である所得・日本語能力・居住年数なども審査を厳格化され、経営・管理ビザの資本金は500万円から3000万円に引き上げられた。一気に6倍だ。

この直撃を受けるのは、在日外国人が経営する中小企業、特にネパール人が経営する町のカレー屋さんなどに代表されるエスニック・レストランだ。多くの人が日本での生活や仕事をあきらめて故国に帰ることになる。

つまりインドネシア料理店やカレー屋やミャンマー料理などの店が日本から消える。残るのは日本の大手資本のチェーン店ばかり。いや、これはこれで嘆息したくなるけれど、問題の本質はそこではない。

日本の排外的な傾向がどんどん高揚する現状において、入管を称揚するドラマを放送する企画意図は何だろう、と愚痴を言いたくなるけれど、今回はそこにもこれ以上は触れない。

日本のドラマで初の演出?

観たのはほんの数分だけだから、作品の意図や趣旨などについては書けない。つまり内容の批評はできないし、するつもりもない。番宣はずいぶん派手に放送していたから、ああこれが例の番組か、という感じで観始めて、すぐにチャンネルを換えるつもりだったのだけど、でもあるシーンでリモコンを持つ手が止まってしまった。

入国審査官から質問された外国人が答えるとき、吹き替えで日本語が流されたのだ。つまり一瞬にして再現ドラマ。それも一回や二回じゃない。外国語の台詞はすべて吹き替えだ。

洋画を観るときは、吹き替え版は基本的には観ないことにしている。だって「声」は重要だ。アンソニー・ホプキンスやナタリー・ポートマンの声はホプキンスやポートマンの大きな属性であり、個性を形成する重要な要素だ。他の誰かの声では絶対に違和感がある。もしも俳優の顔や姿形をCGや生成AIで変えられたら、何だこれはと誰もが怒るはずだけど、声に対してはスルーらしい。

でもそれも洋画の場合。少なくとも日本のゴールデンタイムのテレビドラマで、バラエティ番組のようなこんな吹き替えを、僕は過去に観たことはないし、それは多くの人も同じはずだ。

そう思いながらネットで検索すると(きちんと調べたわけじゃないが)、この吹き替えについて違和感を持った人はむしろ少数派らしい。

もちろん「いきなり再現ドラマのようだ」などと違和感を表明する人もいたけれど、その多くは「斬新!」「吹き替えが洋画のよう!」「え?トム・クルーズ?(トム・クルーズの吹き替えをよくやる声優が起用されたらしい)」などと称賛している。特に以下の投稿に注目したい。

「大空港ドラマで外人の吹替は、とても良いと思います」「テレビから離れても聞こえるので助かります」

テレビで頻繁に使われる吹き替えの意味はまさしくこれだ。画面に集中しなくても声は聞こえる。ご飯を食べたりビールを飲んだり誰かとお喋りしたりしながらも、とりあえず声は耳に入ってくる。

ちなみに日本のテレビはテロップがとても多い。これも意味は同じ。集中していなくても、目線をテレビ画面に向けてさえいれば、とりあえず何を言っているかわかる。観る側にとってはとても楽なのだ。

でもなあ、それはドラマを制作して発信する側(つまりテレビ)の自滅行為だと思うのだけど。

声はその人の人生

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